分なりに解釈し

ちょっとしたことがあって、わたしはブチ切れた。
よく言われる「こころの整理をする」、、、というのはどういう意味か、自分なりに解釈した。
こころを落ち着かせる、制御不能状態から気を鎮める、冷静になって考えてみる、自分の素直な気持ち(こころの声)に耳を傾ける急救課程
この作業をするにはある程度、静かな時間が必要だ。
慌ただしく周りに振り回されるような、掻き乱されるような状態では、自分のこころが拾えない。
自然に自分の行き先が見えるような、そういう整理だろう。

何年もかかる人もいると思う。
考えている最中に、登場人物があれこれ関わって影響を与えることもあり得る。
何がベストチョイスだとはわからない。
成り行きまかせがよいかなと。
何かわからない大きな自然の力に導かれるままに。
考えてもわからなかったり、能力が及ばなかったりするEvent 佈置
サイン、兆しが現れるまで、じっと時を待つのがいい。
それがわたし流。

ただし、期限はある。
一生のうち、いつまででもいい、というわけではない。
自分の目標、目的に合わせて期限を設ける。
その中で対処したい。
気長に待ちすぎると、目標に近づけないまま土に還ってしまう。
今のわたしは、土に還るのが目標ではない。
最終的にはそうでも。

期限内に解決できない場合は、諦めるか、自然に忘却ゾーンに入っていくだろう。
いつまでもしがみつかないで、また新しい道に導かれると予想する。
執着こそが、生きるエネルギーの人もいるだろうけれど、わたしなら、自分が快適な方向を自然に選ぶ。
何がなんでも、と、課題解決に向けて全力でフル稼働しない。
脳がゆるくなるんだろう。
一種の諦観かも知れない澳洲讀書