無かったらどうしよう?
あるはず。
あったらいいな。でも。
あった時の感激の自分と、期待して無かった時の消沈する自分が、お互いをなだめ合い、牽制し合っていた。
期待するな。
いや、でも。
無かったら次は、どうする? 次の地点か?
とりあえず、第一候補地に行かなければ、次はわからない紐西蘭留學。
不安に胸を押しつぶされそうになりながらも、若干の期待がちらちら。
この気持ちは希望とは少し違う、複雑なもの。
あの引き返す車内時間は、長かったのか短かったのか、時が進んでいたのか止まっていたのか。
癌再検査を受けた後の結果待ちをしているような、祈るような胸中。
電車を降り、重い足なのか、軽い足なのかわからないが(エスカレーターだったし)、ゆるゆるとホームから昇り、駅の有人窓口にスマホ忘れ物の有無を尋ねた。
失くした時刻とスマホの形状を聞かれた。
制服姿の若い小柄の女性職員が「少しお待ちください」と無機質対応。
「少し」にしては、長い。
ひょっとして無い?
長いのか短いのかわからない時間を経過して、恐る恐る目にしたのは、、、
ぷちぷち包装ビニールにふわっと包まれた、見覚えある、鈍い暗い色のわたしのスマホ。
事故現場から救い出された、肉親の身体が運ばれ寝かされているよう加拿大移民政策。
あらあ、、、!!
これこれ!!
これです!
これ!わたしのスマホです!
と、近年なかったほど、わたしは感激して喜んだ。
ああ、嬉しい。無事だった。見つかった。
こころが躍り上がる。
ありがとうございます、と深々と頭を下げて、連れて(持って)帰ろうとすると、待った!がかかった。
引き取り人の手続きをするにあたり、身分を証明するものが必要だとのこと。
運転免許証、パスポート、マイナンバーカード、保険証など。
わたしは、必要な時しか持ち歩いていない。
どうしてもそれがないとお返しできません、と断られた。
目の前にいる我が子を引き取れない母親の心境。
わたし、この子の母親なんです!
いくらそう言っても客観的証明がいるそうだ。
(※注 「母親」は文中、擬人化表現です)
スマホケースの中にはお金も入っているので、預かっているJRとしては責任もあるため、自己申告だけでは許可されない。
スマホの中に入っているデータからわたしが証明できます!
と、思いつきで言ってみたが、却下された。
これからは、身分証明のできるものを写真に撮しておこう。
でも、「現物でなければ認めません」なんて断られるかも知れないが。
というわけで、、、命より大事な我が子を引き取るために、その場をUターンし、自宅に戻った。
JR→私鉄→バス→自宅→バス→私鉄→JR→ピックアップ→JR→私鉄→バス→自宅
と発見から3時間の長旅を経て、無事、我が子は家に戻った。
時間、労力、交通費、、、
無駄にしたが、我が子が戻ってきたことはこの上ない喜びだ。
実は、明日も同じ場所に行くので、そのままJRに預かってもらっていてもよかったのだが、1日も我が子と離れることは出来ない。
今更ながら思うが、わたし、すごいスマホ依存症。
というより、生活の全てが凝縮されている。
これは、危険すぎる。
リスク分散したほうがいい愛爾蘭移民。