くなった人はだれもい

なにしろ、全エネルギーと知恵と労力と時間とお金をかけて、義務を遂行しなければならない。

宗派が違っても。信仰する神様が違っても。

統一教会などは、結婚までさせられるのだから、驚きを通り越して、完全に意味不明の洗脳をさせられる。

そこまで顕著なわかりやすい過激なことはないが、カテゴリー分けすると、宗教グループに属する史偉莎

 

洗脳されきっていない、中途半端な脳で、冠婚葬祭を執り行う。

麻酔をせずに外科手術を受けるようなものだ。

わたしは、かなり苦しんできた。

 

最初の頃は、はいはい、と素直に従い、なんとも思わなかったが、次第に眠っていた自分の考えが段々現れてきた。

葛藤。

だが、わたしも日本人に多い、やんわり仏教。

三々九度の盃をウエディングドレスで行う。

神式で、チャペルではなかったが、どっちでもたいして変わりない。

神聖なクリスマスイブはターキーでお祝い?!(意味もわからず、イメージ戦略に毒されている)

 

呪縛が解けた助聽器資助

 

 

ある次男さん、Aさんのお宅。

墓地を買ったらしいが墓石はまだ。

その墓に眠る予定の人々もまだ元気で、亡くなった人はだれもいない。

だが、子供に後々の負担を押し付けることになってしまい、悪いことをした、と後悔されている。

誰もいない墓。

これからも守る人もいない墓。

これは、墓なのか?

樹木墓にしたらよかったかな、と仰る次男さん、Aさん。

この場合、宗教は?

先祖を祀るのは長男の役目。

たまたま長男に生まれたから、その先祖祀りの役割が回ってきた。

たまたま回避できた人もいる。

 

そう考えると(どう考える?)

たまたま長男と結婚したわたし。

信仰もしていない祀りごとの係を押し付けられている。

が、先輩嫁である姑たちがやっていた電腦掃描中心

さあ、自分の番。

いきなり手を離す。

バトンは、谷底へコロコロ落下。

 

今は次世代の嫁もいない。

婿なら素晴らしい人々が2人もいる。

が、バトンは渡さない。渡せない。

バトンは谷底へ。

 

息子はやがて谷底からバトンを拾ってくる日が来るのだろうか。

バトンを谷底に捨てたのは、わたしだけの責任ではない。

渡す相手が不在なのだ。

 

宗教心の押しつけ、祀りの義務、

夫のため、世間体のために渋々やっている。

樹木葬も商品化される時代。

次男さんなら飛び付ける。

重いものが、どしんと乗っかった長男の嫁は、なかなか一気に思い切った行動はできない。

で、またまた形骸化された行事を行うことになる。